グローバルマクロ投資にうってつけの日

株、債券、金利、通貨、コモディティに関する投資メモ

マイナス金利の下限、それほど常識ではない常識

マイナス金利の下限について、思いついたことをメモしておく。

|世間の常識

マイナス金利に関しては様々な言及がされており、いくつかの「常識」が形成されている。

たとえば、マイナス金利が導入されても普通預金にマイナス金利が適用されることはない、というものがその一つだ。日銀総裁を始めとして、様々な有識者が同様のことを口にしている。

マイナス金利の下限値は△0.5%だ、と言われているのも方々で聞いた。現金の保管コストが年0.5%程度と計算されているのがその根拠であるらしい。現金の保管に年0.5%のコストがかかるのだから、0~△0.5%までのマイナス金利であれば、現金保有コストと引き換えにマイナス金利というより低いコストは受け入れられるだろうし、マイナス金利コストが現金保管コストを上回るのであれば、預金を引き出して現金を保管したほうがましになる。だから、マイナス金利が機能するのは現金保有コストと等しい△0.5%までである、という理屈であるようだ。

しかし、こうした「常識」はちょっとおかしい。順番に考えてみよう。

 

 |マイナス金利の負担者が銀行である場合

「マイナス金利普通預金に適用されない」という常識が本当に常識ならば、マイナス金利の負担者は民間銀行ということになる。そして、先のマイナス金利の下限に関する理屈は成立しなくなる。

預金者に負担を転嫁できない民間銀行が、マイナス金利を避けるために日銀当座預金の超過準備額を現金化したとしても、不要な現金の保有残高は超過準備に加算され、現金にマイナス金利が適用されてしまう。現金化ではマイナス金利を避けることはできない(Q5)。

https://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129b.pdf

不用意に現金保有残高を増やせば、銀行は現金保有コストとマイナス金利コストを合わせて負担することになってしまう。したがって、現金保有コストを上回るマイナス金利が課されても、民間銀行は現金保有を増やそうとは考えない。そして、銀行がマイナス金利コストと現金保有コストとを比較して行動しないなら、現金保有コストとマイナス金利の下限値とは一致しなくなる。

この場合には、銀行が銀行業の免許を返上したくなるぎりぎりのあたりに、マイナス金利の下限値が存在することになるのかもしれない。いずれにしても、マイナス金利の下限値は現金保有コストと等しい△0.5%でないのは確かだ。

 

|マイナス金利の負担者が預金者である場合

マイナス金利の負担者が預金者である場合、つまり、銀行がマイナス金利のコストを預金者に転嫁するため、普通預金にマイナス金利を適用した場合はどうだろうか。

この場合には、上記のマイナス金利の下限値に関する考え方は、確かに正しい。そうなれば私も預金を引き出して、ベッドの下にでも積んでおくことになるだろう。

しかし、この場合には「普通預金にマイナス金利は適用されない」という常識は良く言えば幻想、悪く言えば大嘘だったことになる。

 

したがって、「マイナス金利の下限値は現金保有コストに等しい0.5%である」という常識と、「普通預金にマイナス金利は適用されない」という常識は両立しない。どちらかが間違いである。

 

流動性の罠、マイナス金利、常識は大して常識でない

個人的な話をしよう。私の大学の専攻は経済学である。学部1年の時には次のように教えられた。

経済学上は「流動性の罠」という状況が生じうるが、これは理論上の産物であって、現実には起こらない

しかし、その1、2年後には、日本経済が流動性の罠に陥っている、という論文が発表された。金利を下げてもGDPが増えない、という理論上の悪夢が現実化してしまったのである。

その後には次のように教えられた。

日本経済が流動性の罠から抜け出すには、金利をマイナスにする必要がある。しかし、投機家を「懲らしめる」ために短期的にそうする場合以外は、金利をマイナスにし続けることなど不可能である

聞いた時には「それはそうなのかもしれないな」と思ったが、その後については周知のとおりである。まずユーロ周辺国がマイナス金利を導入し、ユーロ圏がマイナス金利を導入し、ついには私の住む国にまでマイナス金利が導入された。

 

この話の教訓は、マイナス金利を深掘りすれば経済が大混乱に陥るから、そんなことは起こらない、と誰かが言ったとしても、耳を貸してはならないということである。そして、普通預金にマイナス金利が適用されることはない、という話を聞いても真に受けてはいけないということである。

流動性の罠に陥れば経済は大混乱に陥るのではなかったのか?マイナス金利などという荒唐無稽なものを導入すれば、経済は崩壊するのではなかったのか?その両方が起こり、なのに未だに経済は崩壊していない。

マイナス金利の下限値は△0.5%よりもはるか下かもしれないし、普通預金にもマイナス金利が適用されるかもしれない。どちらが正しくどちらが間違っているのかは知らないが、どちらかが確実に間違っている。あるいは、金融緩和を翻すことができようはずがない日銀が、ある日突然に金融緩和政策を放り出すのかもしれない。そのどれもが起こりうるのだ。

2011年3月10日に、「日本の原発は安全で爆発しない」と主張したならば、多くの人が受け入れたはずだ。でも、だから何だというのだろうか。たとえ皆が起こらないと言ったとしても、起こり得ることは何だっていつかは起こるのだ。

理由が合理的に説明されない常識は、それほど常識ではない。大切なのは、自分の頭で考えることだ。

それができないのであれば、日本銀行総裁になるか、経済アナリストになるか、経済学部の教授になるかしか道はない ー というと、さすがに言い過ぎになるのだろうけれど。